街灯

 

今日気づいたことは忘れないうちに形として残しておこうと思う。

 

自分には青春コンプレックスがない。

それはきっと高校時代を謳歌したから。

 

本当に少女漫画みたいで全てを手にしてた高校生活だったと思う。

 

当時も、きっとこれが人生の最高点だ、青春だとふと思うくらいには充実していた。

 

 

 

そこから急転直下して今があるわけだけど、今の自分はあのときの光を完全に失って、でもそれも開き直って楽しんでいる。

 

 

泥酔して冬の道路で寝たり、メンヘラに沼ったり、バイトで鬱になったり、留年したり。

 

あのキラキラ高校生だった自分はどこにいったって感じ。

 

 

けどそんなクソみたいな今の生活も、社会人になって振り返れば輝いて見えるのかもしれない。

 

留年したとはいえ大学生活は後半を迎えている。

 

深夜の関裏はきっと大学生活そのものなんだなとよく感じる。

 

それは社会人になってからも不変なものだけど、いまこの大学生活を過ごす中で見るこの景色は今しか見れない。

 

だから静かに照らす街灯も、凍えるような寒さも、ハイライトの味も、みんなと話したことも、2ケツで駆け抜けた思い出も、ぜんぶぜんぶ脳裏に焼き付けておきたい。

 

 

先輩や高校同期は大学生活はあっという間だったって言うけどその気持ちはわからない。

 

この1年を振り返っても毎日が濃くて、1年前がほんとに遠い過去に感じるくらい時間がゆっくり流れている。

 

むしろ自分は時間がゆっくり流れているように感じる。

 

あと2年、まだあと2年も、この時間軸で過ごせるんだね。

 

 

 

わたしのうつ

 

 

鬱で動けなくなる。

心臓を誰かに握りつぶされてる感覚。

うずくまって必死に耐える。

 

今年に入って毎晩こんな感じ。

特に理由もなく鬱になることもある。

 

懐かしい感覚。

二浪して半年引きこもったあのとき以来。

 

死んだことにしたかったから連絡絶った。

だからLINEを消した。

けど思い出が残ったインスタ消せなかった。

 

ストーリーは足跡つけなかった。

死んだことにしたかったから。

 

TLだけ眺めてた。

みんな幸せな大学生活送ってた。

 

みじめに感じてスマホを閉じた。

黒い画面に惨めな自分がうつった。

 

スマホを置いた。

白い天井を眺めた。

 

気づいたら1日が終わってる。

ずっとこんな独りの日々。

 

寝て起きてうずくまって、たまに死のうとして怖くて死ななくて

 

こんなこと繰り返してたら季節が二つも変わってた。

 

久しぶりに出た家の外

太陽が眩しすぎてたちくらんだ。

 

それでもなんとか踏み出して

もう一度勉強をやり直してまた失敗して病んで

 

それでもなんとか大学生になった。

ここまでなんとか辿りついた。

 

 

じゃあ今はどうか。

たくさんの人に囲まれてる。

慕ってくれる人もいる。

 

なのにどうして鬱になる。

あのときは独りでもなんとか生き延びた。

 

スマホを開いたらいつでも連絡してくれる友達がたくさんいる。

 

バイトは鬱で働けなくなった自分をもう何ヶ月も待ってくれてる。

 

 

独りで生きるのは辛いけど、人といると自分は弱くなる。

 

鬱なのか甘えなのか、わからない。

 

でもこれを世間が甘えと言って許さないなら

もう生きることをやめたい。

 

 

一度絶望を知った自分は

人の弱さに寄り添える人間だと思ってた。

 

でもちがった、依存されることに依存して弱さをごまかしてただけだった。

 

依存されて捨てられての繰り返しの大学生活

 

依存されることすらなくなって

どれほどそれに依存してたのかがわかった。

 

もう少し強くなってほしい自分に。

1人でも生きてほしい。

 

 

そして人間へ。

 

初めて自分を肯定してあげれた一年だった。

 

二浪で崩壊した自己肯定感、ずっと自分を否定して生きてきた。

 

あのときはほんとに死のうとした。

 

けど直前で怖くてこんなにも憎い自分を殺すことすらできない自分に失望してまた自分を否定して、どうして生きてるかすらわからないときもあった。

 

あの名残で包丁見るとあの衝動がよぎるから、怖くてキッチンに近づけなかったのも今年になってようやく治った。

 

 

まうでゅの存在、ほんとに大きかった。

 

途中から入ってきた音楽ド素人完全無知の自分が、こんなにもたくさんの人たちに囲まれるようになるなんて思ってなかった。

 

本当に自己肯定感が低いから、自分なんかと仲良くしてくれる人は全員好き、これは今も昔も変わらない。

 

だからその人の周りからの評価は気にしないし、自分が仲良くしたいと思ったら誰とでも仲良くする、これは自分の良いところ。

 

とにかく人が好き、自分のこのスタンスはここからきている。

 

けどそれを受け取ってもらえないことだってある。

だからそんなコミュニティは全部切った、江坂マックも、BEGINも。

 

 

けどまうでゅはそれをちゃんと受け取ってくれてた、それが嬉しかった。

 

まうでゅってサークルが、そこにいるひとりひとりが好きって気持ちが伝わっていて、だから自分ものびのびと楽しめた。

 

否定し続けていた自分のそういう良さに気づけたのはきっとそんな自分を受け止めてくれるこのまうでゅがあったから、だと思う。

 

自分の良さに初めて気づけた、だからこそ自分の悪いところに気づいたのもある。

 

極限まで自己肯定感を下げているから自分は低姿勢で謙虚だと思い込んでいたけどちがった。

 

自分はクズだから、ダメな人間だからと諦めることで、具体的な自分の悪いところを見つめることを放棄していると気づいた。

 

 

直すことを放棄して全部自分はクズだからしょうがないって逃げていた自分がいた。

 

 

合宿でのあの粗相について聞かされたとき、自分の弱さ、お酒に対する慢心、異性関係の根本的なだらしなさ、嫌というほど向き合った。

 

あの粗相があったとき、当事者も含め周りの後輩たちが自分のことを庇ってくれたこと、それは自分という人間が周りから大事にされる存在になっていたからで、だからこそ自分はここで自分の具体的な悪いところと向き合わないといけないと思った。

 

 

きっと向き合うべきことはまだまだある。

 

そして自分を肯定してもらえないコミュニティでも、自分を肯定できる強い人間にならないといけない。

 

留年はほぼ確定とはいえ、もう数年で社会人になる。

 

先輩から疎まれやすいのは、高校時代からの自分の特徴だから、たぶん社会人になって数年はそれで苦労するとおもう。

 

だから周りから否定されても自分を肯定してあげられる自分になりたい。

 

そんな変化のきっかけになったこの2022年、そしてまうでゅに感謝の1年でした。

 

苦いの。

 

 

この美味しさがわからないのはまだまだ子どもだなぁハハハハハ

 

小学生のとき、コーヒーの苦さに顔をしかめると親によく言われた。

 

そのときはこんなもんどうやったら美味しく感じるようになるんだと思った、まずい。

 

 

 

最近セブンのコーヒーにハマっていてひとりで飲んでるときにそんなことを不意に思い出した。

 

 

 

美味しさがわからないから、子ども扱い、小馬鹿にする、おかしい。

 

美味しさがわかるから、大人になったから、じゃあそれがえらいんだろうか。

 

たった数年前の恋愛映画を見て純粋な心で感じ取って涙が流れた高校生時代の感じ方ができないだけで、少し寂しくなったりもするっていうのに。

 

だから自分は今しか感じ取れない情緒や感覚を大事にしたい、そういう生き方をしている。

 

 

いつもうらたけで飲んでる安酒、とりわけトリスウイスキーなんかより、高いウイスキーの方が美味しいに決まっている。

 

でもいつも迷わずトリスを選ぶ。

コスパ重視のトリス、喉元を燃やすように胃まで流れ込んでくるほんとに飲みにくい。

 

けどいつもこれを選ぶ。

 

ワンルームにみんなで肩を寄せ合って、何をするわけでもなくただひたすら話して笑って潰れて

 

そんな時間を一緒にずっと過ごしてきた思い出がつまってるだから選ぶ。

 

きっと社会人になったらこんな日々を懐かしむんだろう、それがわかっているから。

 

 

 

だからトリスのパッケージが変わったとき少しやりきれない感じがしたり

 

昨日うらたがおもむろに取り出したウイスキーがブラックニッカだったことに寂しさをおぼえたり

 

そんな今にしか感じ取れないことを大切にしていきたい。

 

 

 

小学校6年間通ってたいつもの通学路

こんなとこに喫煙所があったんだ、タバコを吸うようになったから気づいた。

 

あの頃、好きな女の子と一緒に帰ったなとかそんな事実は思い出せても、当時の純粋無垢なドキドキは蘇らない。

 

 

 

23歳になった今、自分は大人になったのかどうかわからない。

 

メンタルは弱くてすぐに感情を揺さぶられるし、でも周りからは大人であることを当然のように求められる機会が増える。

 

もしかしたらこれから歳をとって社会人になっていけば、こういった感受性も失われていくのかもしれない。

 

 

コーヒーはおいしいと思いつつもまだちょっと苦い。

 

苦くなくなってしまったらまたそのときはそのときに感じ取れることを大切にできる、そんな大人でありたい。

 

 

 

 

ちょっと思い出しただけ

 

あまねからラインがきた。

 

「今日映画見ん?」

 

バイト終わったら家でゆっくり映画でも見るかぁって思いながら働いていた。

 

「ちょっと思い出しただけ」を見ようと決めていた。

なんとなく一人で見たい気分だったけど、なんとなく行こうと思ってみんなで見ることにした。

 

 

映画自体はゆっくりと流れていく感じで、あんまり感情を揺さぶられないから好きだった。

 

としはあんまり興味なさそう、あまねはADHDがでるってケータイちょいちょい触りながら見てる感じ、うらたはわりと見てるけど何考えてるんだろうなぁって。

 

 

軽く話しながら、ちょいちょいふざけて笑いながら、あまり動かない展開の映画をぼーっと見た。

 

すーぐ「残念だったな、めーん」とかネタをぶち込んでくるあたりが、らしいなって。

としが異常にツボってた、笑

 

ゆったりと、けどちょっと好きな感じで映画は終わってエンドロールに。

 

ちょっと懐かしいイントロが聴こえた。

ナイトオンザプラネット、懐かしいなって。

自分のインスタのストーリーで一番好きってずっと言ってる、この写真に使ったなって。

 

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インスタ開いて見返したら46週間前の文字、もうそんなに経ったんだ。

 

 

何も考えず選んだけどこの4人で見てよかったなぁって。

 

 

あぁやっぱあの役はこの人だったんだぁとかとしとあまねが話してるのを聞きながら、流れてくる白い文字を眺めてた。

 

アマプラだから右下に次のオススメ映画が出る。

うらたがそれをそっと消した、あいつのそういうところいいなぁって不意に思った。

 

 

としは相変わらずずっと「おれクリープハイプが一番好きなバンドなんで!」って連呼してる笑

 

ちょっと話してみんな寝る雰囲気になったから「何聴きながら帰ろうかなぁ」って言いながら部屋を出た。

 

そういえば今日は月食だったらしい、部屋から出たら満月が綺麗だった。

あとで今日のこと見返したくなる気がしたから写真におさめた。

 

 

今日はナイトオンザプラネット聴きながら帰ろう。

 

自転車を漕ぎながら、去年はこの曲リピートして「ライターで燃やして一体何本吸った」のところでタバコに火をつけることにこだわってたなぁって思い出した。

 

そういえばあの頃はJPS吸ってたっけ、久しぶりに吸ってみようかな。

 

字幕より吹き替えでって歌詞、映画のあのシーンのことだったんかぁ

 

 

46週前、まだうらたけが始まって間もないころ、寒さに震えながら、まだお互いのこと全然知らないまま、梅田まで4人で歩いた。

 

そういえばあのとき、このイントロの音、ギターでも出せますよってとしが教えてくれた

 

途中河合塾の横を通ったとき、おれここで二浪してたわぁって言ったらあまねが「それがなかったら出会ってなかったんだね」って言ったのが嬉しかったのすごく覚えてる。

 

その帰り道に撮ってあげたあのストーリー、すごく好きで、だからナイトオンザプラネットをあのときずっと自転車に乗るときはリピートして聴いてた。

 

 

 

あれから46週間経って、なんかあのころと同じうらたけが始まった当時の気持ちでは聞けないのがちょっと寂しかったけど、あれからほんとにたくさんの時間を一緒に過ごしたもんなぁってしみじみと。

 

 

ハイライトの煙が歩行者信号の赤色に照らされながらゆっくりとのぼっていった。

 

なんとなくそれを目に焼き付けたくて懐かしいギターの音と一緒にぼんやりと眺めた。

 

 

 

そんな懐かしい日のことを今日はちょっと思い出しただけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

言語化は応急処置

最近の自分はいろいろなことにおいて何がしたいのか考えることが多くなった。

 

将来何がしたい、バイト先でマネージャーとして何がしたい、サークルはバンドとしてキーボードとして何がしたい、自分は何がしたくて今それをしている、そんなことばっかり自分に問い詰める。

 

 

将来やりたいことはずっとわからない、生まれたときからずっとわからない。

法学部は二浪したけど弁護士になれたら高校同期たちとの差を埋められるかもなんて浅はかな考えで選んだけど怠惰な自分が勉強するわけもなく。

自分に何が向いてるのかとか以前にやりたいことがない。

 

 

 

バイトのマネージャーに関しては、江坂店にいるときはそこそこ信念を持ってやってた。

特に高校生については、自分が高校時代が充実して幸せな時間だったからこそ、バイト先の後輩たちにもその時間を大切にしてほしいと思って、店長や他のマネージャーがもっとシフト入れと圧力をかけてても、無理せず必要なお金の分だけ働いたらいいよと言いながら、高校生が多く働く自分の時間帯はその子たちが働きやすい環境をつくろうみたいな気持ちでやっていた。

 

けど結局、主婦から干されて移籍することになり、庄内にきてからは、情なんか湧いたらしんどくなるしたかがバイトだと思って感情を無にしてマネージャーをしている。

けど最近、自分は別に時給も高くなるわけじゃないし、他のマネージャーはもっとお店をこうしたいとかいろいろおもっているなか、自分は普通のバイトと特に変わらず何の信念もなく働いてるのに、どうしてマネージャーなんかやってるんだろうと思う。

 

 

キーボードだって、最初は浪人時代のメンヘラから軽音勧められてやりたいってなって、なんとなくピアノくらいなら弾けるだろうしとりあえずキーボードで入ってのちのちギターとかやろうって気持ちで入ったのになんとなくキーボードを続けている。

けどずっとライブに出てもコード弾くだけ、聴こえてる音を鳴らすだけで、なにが楽しくてやってるのかわからない。

どうしてキーボードやってるんだろう、みたいな気持ちになる。

 

 

まぁ主にこんな感じのことを考えている。

 

 

最近自分の中で、何かの感情を言語化して自分で解釈することで一つの感情を理解し自分に納得させる癖がある。

 

その人に恋愛感情があるのかどうかですら、言語化して自分を納得させて、うん好きじゃないこの人は、と自己完結させるようになった。

 

そもそも人に恋愛感情を抱くことにトラウマがある自分は、そういう感情を抱かないように生きてきた。

だから好きかもしれないと直感で思っても、すぐにその人が自分にとってどういう存在なのか、どうしてそういう感情を抱いたのかを言語化して、好きじゃないと結論づけ自分に納得させるようにしていた。

 

少し具体的に言うと、この人は自分にすごく依存してくれるけど、依存されるという行為が好きで依存されることに依存してるだけだから、別にこの人自体が好きなわけじゃない、みたいな感じで。

 

人を好きになれるかもしれないと思って春先くらいにバ先の人と付き合ってみたけど、その人に「好き」って言うたびに、その人に対してではなくて自分はこの人のことが好きじゃないといけないんだと自分に言い聞かせてるみたいで気持ち悪くなって無理になった。

 

少し話が逸れたが、何をやりたいかについてだって同じことが起こっている気がする。

 

たとえばキーボードだって楽しいと思える瞬間もあるわけで、その直感で楽しいと思っても、それは本当に楽しいのかっていちいち考えこんで納得できる解釈が見つからなくて、あーもういいや、やりたくないやって投げ出している。

 

 

 

最近ハマってる作家さんに最果タヒさんという方がいるが、その人のエッセイ集のなかにそれに近いものがあった。

 

要約すると、大人になるにつれて怒るという行為は幼稚だと思われ他人から軽蔑されるから、怒りや苛立ちを正論として言葉として相手にぶつけて感情ではなく正しさを押しつけるようになったけど、それだと正しさばかりを追い求めて、怒りによって生まれた心の傷口は放置されてより一層膿んでいくといったようなものだった。

 

 

これと似た感じで今の自分は、直感的にやりたいことをすればいい、楽しいと思ったことをすればいいはずのに、なぜやりたいとかどうして楽しいとか言語化することばっかりを追い求めて、感情を置き去りにしているような感覚に陥っている。

 

自分の感情を言語化できて解釈し納得できたその瞬間はとても気持ちいいけど、それは同時に感情を捨てることにもなって本末転倒な気がする。

 

そもそも何をしたいのかとか考えること自体が間違っているような気もする。

 

これだけ長く文章を書いても結論が見つからない感じになってしまったけど、いま思っていることを言葉にしたかったからブログっていう形にした。

 

あぁ、また言語化しようとしてるね、まぁ自分はそういう人間なんかもしれないね。